9月に入ったばかりのころは、セミばかり鳴いていたのに、
今はすっかり虫の音の世界。
やっと秋らしくなってまいりました。
流山は小林一茶が滞在した町として知られていますが、
私は秋になると、いつもこの句を思い浮かべます。
「夕月や流残りのきりぎりす」
流山は江戸川や利根川の水運により栄えてきた町でしたが、
時折、川が氾濫することもありました。
この句は、ある秋の夜、先ほどの洪水の恐ろしさが嘘のように静まり返る中、
空に月が浮かび、どこからか、きりぎりすの声が聞こえてくるという情景がうたわれています。
寂寥感や無常感とともに、小さな希望を感じさせてくれるこの句は、
とても心に響きます。
さて、秋の香りというと、練香では「菊花」や薫集類抄では「侍従」が含まれています。
(もう少し後?になると、侍従は「冬」の香りとされることも。)
配合を見てみると、菊花は甘く、侍従は苦みのある香りが特徴のようです。
枯草のような、鄙びた中に少し甘みのある香りを表したものが「侍従」で、「菊花」は、すでにあたりに漂う乾いた苦みを背景に、菊の黄色のあたたかみを表現したものとして調香されたのかなあ、とふと思いました。
下は、柿の匂い袋。
大正時代の手芸の教科書にあったガラガラをもとに、袋物にしました。
柿色も、鄙びた香りの中でこそ引き立つ色。
こうして自然は調和がとれていくのだなあとしみじみ思いました。
日本は少し先の季節を取り入れるのが良しとされますが、
イマ、ココの情景をもう少し楽しみたい今日この頃です。
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